古今洋歌集

…力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ、男女の仲をも和げ、猛き士の心をも慰むるは、それ歌なり。
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本郷の鰯

「目黒の筍」に続いて,「本郷の鰯」という話をば。



東大の周辺には昔から「いわしや」という看板を掲げる店が多い。
戦後一時は20軒以上あって,これは飲食店と思いきや,医療機器を扱う会社だ。

なぜに鰯屋か? それは,こんな話。

徳川家康が江戸入府(海路)の際,大阪・堺の網元数人を召し出し,付き添わせた。
お供は,伊賀忍者や,本能寺の変を期に家康に信厚かった摂津佃の漁民だけでなかった。
で,旅も無事に進み江戸が見えてきた頃,数尾のイワシが跳ねて船に飛び込んできた。
網元らは「こりゃ,縁起のええこっちゃないかい」「ほんまや,ほんまや」とばかり,
殿様から日本橋の一等地を与えられ店を開いた際に,「鰯屋」の屋号をつけた。

江戸買物独案内

やがて,網元らは新天地・江戸で,漢方薬を扱う問屋(薬種屋)に転じ,財をなした。
代が替わり浪花言葉も忘れた旦那衆は「これからぁトト売るよりゃクスリ売った方が
良かろうぜ。なんせ,魚三層倍,クスリ九層倍,坊主丸儲けって云うくらいだ」と…。
その後,のれん分けもあり,日本橋周辺には「鰯屋」で知られる薬問屋が群れなした。
明治に入ると,新政府が薬販売に規制をかけてきたため,こんどはハサミやメスなどの
医療機具を職人に作らせ医者へ売る店へと転業。医師の御用聞きを勤めるために,
多く東大医学部周辺に移動して来たのだという。

この話,東京新聞4月22日付に載っていたが,
少なからず私の脚色も入っている(笑)。

上画像は,文政7(1824)年に出された,大江戸ガイドブック「江戸買物独案内」中表紙。
江戸版・大阪版・京都版があったらしい。神戸大学に保存されている
同書の「鰯屋」実物ページ>は,こちらから下巻・画像17へ。
すでに本家・総本家・元祖…となっているのが面白い。日本橋3丁目に「鰯屋」が
3軒あった時分には「どっちらの袋か知れぬ三丁目」と,川柳に仕立てられている。


50年前には,医療機器の「いわしや」は日本全国で70以上もあったという。
鰯の群れを飲み込もうと「鯨屋」と名乗る企業が現れたり,
新興の「いわしや」が登録商標を出願した際は,老舗「いわしや」連の逆鱗にふれ,
登録申請を取り下げさせられたこともあるとか。

が,近年は○○メディカルと名を変えたり廃業したりで「鰯が激減」している。
本郷にも,いまや5尾(社)だけと云う。

【本日のつけ足し】
◆鰯は,ニシン目,世界に約330種。日本近海では,マイワシ,ウルメ,カタクチの3種が代表。コノシロ(小肌),サッパ(ままかり),キビナゴも同目,イカナゴ(小公子)はスズキ目だ。
◆「鰯の頭も信心から」の語源および蘊蓄は,こちら
◆さぬき桃太郎(吉備津彦命)伝説では,鬼=海賊。
◆「家康=本能寺の変=佃村・佃煮」の関係は,こちら

◆イワシ○なのに,サンマの映画に出て,いまやゾウ(亭主はキツネ=シノダ)の女優は,こちら

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昨日、所用で行った本郷で見た「いわしや」の看板。 本郷周辺に「いわしや」の屋号を持つ医療機器関係の店がなぜか多いという「東京新聞4/22」の記事に目を通していたので、本郷3丁目の地下鉄駅から大通りに出て、すぐに目に、この看板がはいってきたときはビックリし
視人庵BLOG | 2006/05/21 8:19 AM
 
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