古今洋歌集

…力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ、男女の仲をも和げ、猛き士の心をも慰むるは、それ歌なり。
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岩を祀る

最初のアーミッシュがペンシルヴァニア到着した、ちょうど100年前。
最初の清教徒が英国を出てマサチューセッツ湾岸の入江プリマスに辿り着いた。

それは1620年、日本では大阪城陥落から5年、家康が駿府で死去(薨去)して
4年が経たった冬、クリスマスに近かった。

言わずと知れたメイフラワー号のピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)、
プリマスで船を下りた彼らが最初に足で踏んだ記念の「岩石」が Plymouth Rockとして
残されている。ギリシア式神殿の柱に囲まれ、さらに鉄檻で囲まれて。
日本人なら「祀る」ところだが、WASP流の結界表現、聖別表現なのかも知れぬ。


もちろん、これは伝説の石で「これぞ、その御石じゃ」と1741年に認定したのは、
後続渡米してきたピューリタンの子息で、プリマスの教会に属していたトーマスなる
長老(一説に当時95歳、98歳説もあり)だ。
トマス老は子供の頃、父親や存命していたメイフラワー一派から
当時の様子や「石」について何度も聞かされていた。
98歳の長老の言に誰が異論を唱えられようか、プリマス・ロックは「建国の礎」となり、
いろいろあって、1620という年号も刻まれ、1920年に現在の場所に祀られた。
重量は目に見える部分で4トン、地中が6トンという。

アメリカ軍のベトナム撤退から2年、サイゴン陥落から半年の1975年10月、
ボブ・ディランと仲間による「ローリング・サンダー・レビュー」ツアーは、
最初のライブに、ここプリマスを選んだ。すでに、これも伝説に近づきつつある。
LIVE 1975

プリマスロックに象徴されるように、ピルグリムファーザーズは
アメリカ建国神話の一部に他ならない。
いわゆるヤンキーに聞くと、5人に1人は「ウチの祖先はメイフラワーに乗って来た」と
胸を張るというハナシもあるくらいだ。有名人では、F.ルーズベルト、ブッシュ、
ビング・クロスビー、H.ボガート、M.モンロー(ホントか?)と並ぶ。
かつてテレビや映画でインディアンと闘っていたC.イーストウッドも
メイフラワー子孫(それも総督ブラッドフォードの)と言われるのも神話的だ。

われわれ日本人も、建国の礎 理想に燃えた聖徒 自由と民主主義の第一歩と
教えられた記憶があるが、どうも真実と神話はあい混ぜになっているようだ。

さて。
船客102名のうち、ピューリタンは約20家族50名、
これはオランダに亡命し10年以上暮らしていた人々だ。
イギリスから「ワシらも」と乗った国教徒入植者は約30名で、
この中にはプリマスの自警団長となりインディアン襲撃も行った
元兵士スタンディッシュ(Myles Standish)もいた。
残りは、ピューリタンの奉公人(子供の先生含む)18人、1年契約の職人5人。
(この詳細はWikipediaのリストによる、W.ブラッドフォードの自筆リスト

戦争ペスト寒さ餓えが周期的に襲うヨーロッパを脱出し人間らしい生活をしたい一派と、
国教徒から迫害を受けピューリタン信仰を守り抜こうと頑固な一派は、
ゆえに、2カ月余の航海でたびたび衝突したという。

むりもない。鮨詰めの船なのだ。
メイフラワー号は、もとはフランススペインからロンドンへワインを運搬していた
貿易商船で新しくもなく、3本マスト長さ27m180トン、コロンブス1492年乗船の
サンタマリア号と同程度で、決して大きくもない。
そこに、ベッドテーブルイスをはじめ、犬羊山羊、調味料どっさり、オートミール、干肉干魚、
さらにビール400樽を積み込んだ。なんせ帰るつもりのない覚悟の「引越し」、身の回り丸ごとの移動である。

実は。
ピルグリム航海は「メ号」だけでなく、もう一隻スピードウェル号があった。
この「ス号」が水洩れで航海不能となり、11人がメ号に追加乗船した。
こうなれば芋洗いである。

英国出港時に「ス号」トラブルがあったせいで、出港は予定より1カ月余遅れた。
すでに9月も半ば(16日)、そのせいで、大西洋には季節風が吹き荒れ、揺れる揺れる。
ビールはあるが水は足りない。野菜なくビタミンも足りない。
ヘトヘトになった船と人は、目的地のヴァージニア入植地ではなく
マサチューセッツ湾のコッド岬(Cape Cod)に着く(11月21日)。


この地への入植になんら法的根拠がないため急遽、船中で有名な
「メイフラワーコンパクト」を作り、碇を降ろすも、先発隊が
「ここはアカン。物資が運べん、家ができん、インディアンがいるようだ」と報告。
なんせ妻子の命もかかっているゆえ、さらに探索し、ようようプリマスに辿り着く。
すでに12月21日。ここで、伝説の「岩」(上の絵・左、右は冬景色)が登場する。
「ここなら良かろ」と、本隊が上陸したのは12月26日だった。

出港の地が英国プリマス(ここも石門のモニュメント Mayflower Stepsあり)だったため、
上陸地を同名に名づけた説と、いやいや、17世紀初めに作られた北米地図に
プリマスが既にあり、コッド岬の次候補として地図を見た時、対岸の地名に
天啓を感じたと。前者はやや俗なる説のようだ。


ウィリアム・ブラッドフォードは記録(Of Plimouth Plantation)を残しているが、上陸後も厳しい日々の連続だった。

まず悲劇は、上陸直前に起きた。船旅中は1人の使用人(少年)しか死亡しなかったが、
こともあろうにブラッドフォードの奥方が、碇を降ろし停泊中のメイフラワーから
落ちて溺れ死んでしまった(一説には自殺説あり)。

次に、上陸した一団を待ち受けていたのは氷点下の寒さであって、
2〜3か月のうちに、餓え衰弱壊血病で入植者の半分が死ぬ。
春まで生き残ったのは100余名のうち50名、健康なのは6〜7人足らずである。

生き残ったのは、神の御加護というほかないが、原住民インディアンの助けも
大きかった。特に、ワンパノア(Wampanoag)族の大酋長マサソイト(massasoit)は
ピ祖に友好的で、近隣インディアンから魚の獲り方、コーンポテトパンプキン等の
種をわけ栽培法を教えるよう取りはからった。欧州から持ち込んだ種子は
土壌に合わず育たなかったが、新たな種でようよう作物が育ち健康を取り戻し、
1年後の秋、インディアンを招きて、共に収穫へ感謝し祈りを捧げる。

これが、アメリカで小学校から教える「最初のサンクスギビングの伝説」のあらましであって、1863年にリンカーン大統領が国民の休日と定め、ルーズベルト大統領が
11月の第4木曜に変更した。1621年の実際は大した食料がなく、原住民がより多くの
食料を用意し3日間祭りを続けたようだが、これが友好の頂点であって次第に
仲がぎくしゃくして来る。ネイティブにとって感謝祭はハッピーな記念日ではないとい見方もある。

ともあれ、感謝祭も建国神話の一部なのだが、今後はどうか。
ついに3億を超えるアメリカ人口、急増しているのはメキシコ・中南米からの移民だ。
英語を話さぬ米国人が増えるなか、建国神話はいつまで求心力を保てるのだろう?


【本日のつけ足し】
「ピルグリム」と「ピューリタン」の違い
イギリス国教会の曖昧不徹底さに反発した清教徒(ピューリタン・非国教派・分離派)
のうちオランダ・レイデンに亡命したグループは、そこで10年余暮らしていたが
「オランダさんの土地じゃワシら やっぱりヨソ者、なじめない」とばかり、
新天地行きを決意、古巣英国にいったん戻り、米国ヴァージニア植民地の定住権利証
(国王ジェームス1世の特許状、漁業権・原住民との貿易権付き)をヴァーニジア会社
なる国策植民地経営社から買い、商船2隻で家族ともどもアメリカを目指す。
イギリス国内に資金援助者もあったらしい。
「ピルグリム」という語は、プリマスに入植したグループの2代目指導者となった
ウィリアム・ブラッドフォードが、自分ら(レイデン一派)を自称したものという。レイデン派を「ピルグリム」、1630年以降のボストン建設をはじめ
英国人の大移住組を「ピューリタン」と分ける説もある。
船上のコンパクト

「コンパクト」と「コントラクト」の違い
商取引契約のように拘束力を持つのが「コントラクト」で、それよりは緩やかな
当事者間の取り決めが「コンパクト」。私的なプロミスよりは責任をともなう。
日本語では「協約」とも。国連が提唱するのが「グローバル・コンパクト」だ。

America's Homepage

アートとゲイの街…ピ祖が最初に碇を降ろしたコッド岬のプロヴィンスタウン

◆サンタマリア号(コロンブス)から開南丸(白瀬中尉)まで…世界の帆船切手

◆ピューリタンズ、ピルグリムズ、プリマスロックス…MLBボストンレッドソックスの昔の球団名

初期アメリカの植民地法制度

William Bradford Website

1927年頃のプリマス入植地などを再現した観光博物園「プリマス・プランテーション」(大人21ドル)

◆実に詳しい教育物語…「ピルグリムとプリマス1620年」

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